世界一周ではなく地球一周

 男が仕事を辞め、地球を一周するブログです。

誰でも出来ること,お金を貯め、パスポートを取り、航空券を取り、etcすれば誰だって行けちゃいます。

 

 

世界→地球上の人間社会のすべて。人間社会全体。限定された社会ではなく、すべての社会の集合。全人類の社会をいう。by wiki

 

 こんな壮大なものを一周なんて何年かかるのか。

 

地球→地球とは我々人類が住んでいる天体、つまり我々の足元にある天体のことである。by wiki

 

足元にあるのだからこれを物理的に一周なら出来るでしょう。

 

 

 

 

※ このページは、時間を割いてまでご覧になっていただくような大したものではございません。

 

STORY

 これが、私の最愛の家族。そして一番左が私。全員顔に過ぎですね。

 

 そして、真ん中の車椅子の女性が、このブログを書くきっかけと地球一周のきっかけをくれた最愛の母

 

 私の母は、1/100000人の難病『ALS 筋萎縮性側索硬化症』です。

 

 この病気はありとあらゆる筋肉がみるみるうちになくなって行く病気で7割の人は自ら死を選びます。なぜなら、筋肉がなくなるということは、歩くことも、手作業も、食事も、会話も、呼吸も。筋肉を使う動きは全てできなくなっていくからです。それがどれだけ怖いか。本人以外わからないでしょう。

 

 そんな母が喋れなくなる前にこんなことを言っていました。

 

「もっと色んなところに出かければ良かった。もっと色んなことしたかった」  

 

 心に刺さるような言葉でした。でもこの言葉を聞いて、母からいただいたこの健康な身体で『よし。俺がお母さんに見たこともないような景色をたくさん見せよう。そして多くの経験を語ろう』と思えたんです。

 この出来事は、僕の人生を大きく変えてくれました。母が病気になっていなければ健康であることへのありがたみも、生きることへの価値観や時間の価値観も。家族への愛も違う物になっていたとおもいます。いつ死んでしまうかわからないからこそ面と向かって、「俺のお母さんでありがとう。本当幸せです。愛してるよ」なんて、アメリカのドラマみたいの言葉だって、言えたのだと思います。

 

 母の難病と介護これは、他者には味わえない重く重要な経験になりました。そして自分を変えたこの経験がもっと広まったら母親が難病になったことに意味が生まれるのではないか。家族が健康だけど疎遠な人、家族と仲があんまりなんて人。それが一概に悪いものではないのは理解できます。しかし、家族と過ごせる時間は限られているし、今となっては喧嘩出来ること、いがみ合うことすら羨ましく感じます。何を言いたいかというと、もっともっといまより身近な人との限られた時間を大切にして欲しいんです。感謝や愛を言葉にして欲しいんです。そして私のこの経験が少しでも誰かの気持ちに作用した時、それは母が与えてくれた『意味』だと思えるんです。

 

 結局は私のエゴです。笑

 

 でも、この経験により得たことをいずれは多くの人に伝えたい。「死ぬ」を側に感じなければ「生きる」ことに執着できない。全力で生きることがきないでしょう。私は知り合った人たちにも全力で生きて欲しいと心から思います。余計なお世話ですが。私は哲学者ではない一般人です。なので、いくら頭の中にある言葉を寄せ集めても、人の心には響きません。人の心を動かすためには経験をしなければ。ネットの情報を経験したかのように語ることほどダサいことはないでしょう。なので私は多くを実際に経験し「傍観者」ではなく「参加者」「経験者」として語り、人の心を動かせるような人間になりたいのです。

 私は、極めて普通の一般ピーポーです。今現在、何者でもなく経験の浅い若僧。青二才です。こんなブログを書いてますが自分にスポットが当たっているなんて勘違いもしておりません。

 

 今の私の言葉には重みも、人にインスピレーションを与える力もありません。 

 

 これでは僕の目標は達成できません。だから僕は地球一周で多くの経験をし、言葉に力を持ちたいんです。